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誇り高い耳鼻科開業医療と、その先へ 2026年4月

 平成3年(1991年)に秋田県横手市で耳鼻科を開業し、今年7月で満35年になる。この間、COVID-19に罹患して約1週間休んだ以外に、大きな病気や事故もなく仕事を続けてこられたのは、周囲の皆さんに助けていただいたおかげであり、ただ幸運だったとしか言いようがない。
 この35年という節目に、ひとりの天邪鬼な医者が、開業耳鼻科医として何をしてきたかを、多少の誇らしさと気恥ずかしさをもってまとめてみた。ここで言う「天邪鬼(critical thinking?)」とは、皆が否定的に語ることを肯定的に捉えたり、常識だと思い込んでいることを「本当にそうなのか」と疑ってみたりする性癖のことを指す。
 診療所開設という選択肢が、大学病院や医学研究施設に勤務する道、専門病院で一つの病気を極める道、総合病院で地域医療を担う道に負けず劣らず魅力的だと、もし感じて頂けたら幸いである。

開業までの医局生活とロンドン留学

 岩手医大歯学部を卒業して医学部に編入し、歯学部で学んだことを生かせると勧誘されて耳鼻科に入局した。耳鼻科の立木孝教授は聴覚医学の大家で、有名な突発性難聴を日本で最初に報告された方である。立木耳鼻科の医局では、難聴患者さんの様々な聴覚検査結果をいろいろな角度から解析する臨床聴覚医学を厳しく指導された。大学院卒業の直後に、それまで突発性難聴とされていた疾患の中に、低音域だけが障害されて予後が良い一群の疾患があるのでその臨床像を研究するように立木先生に言われた。診断基準と共に提起したこの一群の疾患(急性低音障害型感音難聴)は、当時の聴覚医学のトピックスとされて日本中で研究が行われた。メニエール病との鑑別が時に難しいこのストレス性難聴の研究に一区切りがついたら、大学病院を辞し開業しようと思っていたところ、突然にロンドン大学に留学するように命じられた。臨床聴覚医学では外国から学ぶものなど無いし、臨床から長期間離れるのは良くないからと6ヶ月間だけの留学と言われた。4年後にアジアで初めての国際聴覚医学会が立木孝理事長の下で開催されることが決まったというのが大きな理由の一つらしかった。留学のチャンスを頂いたことは嬉しかったが、私の人生設計が教授や医局の都合で捻じ曲げられてしまうことには少し違和感を覚えた。大急ぎで英会話や住居手配など留学の準備をし、憧れではあった家族5人のロンドン生活が始まった。

 研究遂行で滞在を伸ばしていただいた7か月間のロンドン留学は、見えるもの・聞こえるもの・呼吸する空気から流れる雲までありとあらゆるものが新鮮で、新しい気付きの連続であった。まさに「井の中の蛙、大海を知らず」を痛感させられた。

 ロンドンでの留学生活は、特別な研究テーマを持っていた訳では無く、初めの4ヶ月は、お世話になったHinchicriffe 教授(英国の聴覚医学・神経耳科学会理事長)の外来や症例検討会・カンファランスを見学参加したり、小児難聴外来の聴能訓練や人工内耳手術を見学したりであった。残り2ヶ月になったところで、教授が内耳由来の音響反応(耳音響放射)を世界で初めて発見したD.Kemp助教授(当時)を紹介してくれた。この耳音響放射は、当時の聴覚医学の世界的トピックスであった。ちょうどその簡便な検査装置を彼が開発したところで、幸運にもその装置を使って、「騒音負荷による内耳有毛細胞の可逆性障害」(NI-TTS)というテーマについて、彼の指導を受けながら研究に没頭できた。帰国して間もなく、日本に講演で招待されたKemp助教授が、その簡便な検査装置を岩手医大に寄付してくれたことで、他に先駆けて耳音響放射の臨床的研究が盛岡で始まった。

4か月の入院と、二つの約束、そして開業への想い

 ロンドンから帰って半年が過ぎ耳音響放射の研究が軌道に乗り始めたころ、一身上の都合により1~2年で退職せざるを得ないことになった。

 このことを立木教授に「ご期待に沿えなくて申し訳ありません」とお伝えして間もなく、非活動性肺結核に罹患していることが分かり、県立中央病院に4か月間入院することになった。今思えば、この4か月は私の人生の中で最も充実した時間であった。立木先生と交わした二つの約束に着手すると共に、開業後の生き方について静かに考える時間を持てたからである。二つの約束とは、1)ロンドンから持ち帰った耳音響放射検査の簡便な方法とその臨床応用を、後輩医局員にしっかり伝授すること、2)低音性突発難聴(急性低音障害型感音難聴)の臨床像を論文にまとめ上げることであった。退職までの1年半の間に、耳音響放射については1編の原著論文と大学院生の学位指導を4~5編、急性低音障害型感音難聴については、3編の原著論文と総説1編にまとめてその臨床像をほぼ明らかにできた。

 開業すれば、なぜ手術的治療を放棄し、続けてきた研究を断念しなければならないのか。開業医には、実地臨床医であるからこそ可能な医療や研究テーマがあるはずだ―入院室の天井を見ながら、天邪鬼な耳鼻科医の私はそう考えた。大学病院、地域医療支援病院、診療所の医師にはそれぞれの役割があり、その間に軽重はないという確信もあった。

開業時の五つの目標

 耳鼻科医で元秋田県医師会長の能登彰夫先生に「そんな田舎でやっていけるのか」と言われながら、秋田県の横手市と湯沢市の中間にある十文字町(当時人口1万5千人)に、誇り高い耳鼻科開業医を目指して開業した。中学まで過ごした湯沢市稲庭町の生家まで車で約20分の距離である。

 開業時、次の五つを目標に定めた。
①メスを捨てないこと
②大学での研究テーマで残っていた、急性低音障害型感音難聴の長期予後を追求すること
③治療で治らなかった/治せなかった難聴のリハビリに積極的に関わること(補聴器外来)
④上気道閉塞によるいびき・無呼吸の改善治療(いびき睡眠外来)を行うこと
⑤禁煙外来・ワクチン接種・学校医活動・地域健康講話など、予防医学的活動を行うこと
 それら5項目について、35年間にやってきたことを簡単にまとめた。
①外来手術(オフィスサージャリー)
 診察室の二つのユニットのうち一つをフルフラットになる大型ユニットとし、外来で手術(オフィスサージャリー)を行なった。14時30分までの昼休みと水曜日午後に、2泊~日帰りで行う、局所麻酔下手術である。日時を予約して行った手術総数(35年間)は、鼓膜切開術やチューブ挿入術を除いて、約5,700例であった。内訳は、耳科手術(鼓膜形成術・鼓室形成術など)約800例、鼻科手術(鼻内レーザー手術・鼻内副鼻腔手術など)約3,300例、咽喉頭手術(口蓋扁桃切除術・軟口蓋形成術など)約1,100例、その他約500例である。
②急性低音障害型感音難聴の臨床研究
 2005年(開業16年目)の日本聴覚医学会50周年記念大会で、「急性低音障害型感音難聴の診断について」という教育講演を行った。2011年のインターネットセミナー(エーザイ)で、「急性低音障害型感音難聴とメニエール病」を講演・収録した。【この一部は当院のHPで見られる】。
 2020年からは、同疾患の長期予後を検討すると共に、長期再発例・不変例・他の聴力型への移行再発例を対象に、その病態(内リンパ水腫の有無)を3T-MR(I秋田日赤病院の宮内孝治先生に依頼)で検査して、その結果を多数の学会で発表している。
③補聴器外来
 開業当初から音場検査室を備えた補聴器適合検査施設の認可を得て、ワイデクス社とリオン株式会社の認定補聴器技能士2人による補聴器外来を、週1.5回行っている。
④いびき・睡眠時無呼吸外来
 自宅での簡易検査でスクリーニングを行い、中等度以上の無呼吸が疑われる方には精密なPSG検査(1泊)を行ったのち、N-CPAP治療や鼻咽頭手術を実施してきた。ダニアレルギーによる小児の夜間鼻呼吸障害には、10年前から行ってきた舌下免疫療法が有効である。
⑤予防医学的活動(学校保健・発熱外来など)
 禁煙外来は、チャンピックス発売中止のため、5年ほど前から行っていない。学校医活動については、開業当初は多忙で18校の学校健診を行うだけだったが、後述する「言語発達外来」を始めてからは、コミュニケーション障害を診る医師として学校保健活動に参画することが、開業耳鼻科医の大切な役割だと再認識した。予防接種は、肺炎球菌ワクチン・帯状疱疹ワクチン・インフルエンザワクチンを行ってきた。また2020年のCOVID-19パンデミック以後は、院内に発熱患者用の特別室を設け、「発熱外来」を行っている。

「言語発達外来」の開設が広げた耳鼻科開業医療

 開業して10年が経過した2000年頃、新生児聴覚スクリーニング(新スク)が全国で行われることになった。秋田県では、乳幼児難聴の医療支援を長年研究してきた中澤操先生(県立リハセン)が中心となり、産婦人科医会と健康福祉行政機関の了解を取り付けて、全県下で一斉に新スクが行われることになった。地方部会の乳幼児医療委員会で「新スク後の医療・療育支援体制の整備が急務」ということになり、秋田県南では私の医院がその役割を担うことになった。その役割を担うには、有能な言語聴覚士(ST)が必要であった。この時に中澤先生が紹介してくれたのが、自身が嘱託医を務める秋田市の難聴児通園施設「オリブ園」の園長、片桐貞子STであった。「オリブ園」は、生来の難聴に伴う言語発達障害児の療育に積極的に取り組む日本の草分け的施設(もう一つは岡山のカナリア学園)であり、STが10人ほど在籍していた。
 この片桐ST、そしてオリブ園との出会いが、その後の当院の診療内容を大きく広げ、私の「耳鼻科開業医療」への考え方を、少しだが確かなものへ変えてくれた。
 秋田市から片桐ST(非常勤)に来ていただいて開設した「言語発達外来」では、新スクで発見された両側高度難聴児には、まず補聴器を装用させて(秋田市のベテラン認定補聴器技能士が担当)、聴能訓練を行う。その後、中澤先生と相談して人工内耳手術を受けさせた児を含め、言語訓練を行うのである。片桐STによる当院の「言語発達外来」は、開設当初は月に1回だったが、約5年ごとに月1回→月2回→週1回→週2回へと診察日を増やし、開業27年目の2020年からは常勤ST・1名と非常勤ST・2名により毎日行っている。開業15年目から当院はオリブ園の「県南サテライト医院」に指定され、私は同法人の評議員に指名された。さらに開業20年目に医院を増改築して、集団言語訓練指導室(10畳間)を作り週2回の「言語発達外来」を行うようになってからは、同法人の理事に指名され現在に至っている。

「言語発達外来」で学んだ二つのこと

 細々と始めた「言語発達外来」を通して、私は大きく二つのことを学んだ。
 一つは、我々医師が知っているようで知らない、言語発達障害児とそれを取り巻く環境のことである。中等度以上の難聴があればもちろんだが、知的障害やASD・ADHDなどの発達障害がある場合も、その障害は言語発達障害という形で現れるということ。関わる職種には、福祉行政関係者(児童発達相談員など)、ST・OT・保育士などの療育指導関係者、就学後の特別支援教育関係者などがあると言うこと、そしてその多職種間で情報を共有し連携することが大切だが、それが容易ではないということだ。
 もう一つは、有能なSTを雇用できれば、言語発達障害児の診断や治療・療育に、我々耳鼻科医がもっと関われるということである。これまで耳鼻科医は、聴力改善手術や補聴器外来などを通じ、コミュニケーションの「インプット」に寄与してきた。構音・発声障害の治療に加えて、言語の理解・表出にも関与できれば、同じく「アウトプット」にもさらに寄与できる。そうなれば、耳鼻咽喉科はコミュニケーション障害を診る診療科だと、より自負できるようになると思う。
 開業時に掲げた「誇り高い耳鼻科開業医療」は五項目だったが、六番目として、コミュニケーション障害の子どもの発達を診る「言語発達外来」を加えたい。さらに、前述5項目の⑤で述べたとおり、コミュニケーション障害の有無・程度を診る医師として、学校保健活動に積極的に関与していくことも、開業耳鼻科医の大切な役割だと再認識している。

古希からの挑戦:「秋田稲庭・ポロの森プロジェクト」

 令和元年に古希を迎えた。
 「70代は人生最後の活動期」という言葉を信じて、「秋田稲庭・ポロの森プロジェクト」を立ち上げた。
 簡単に言えば、ご先祖が残してくれた広大な裏山を開放し、大きなストレスを抱えたり様々な困難を持つ人たちが、少しでも元気になれるようにしたいという活動である。
 振り返れば、敗戦3年後の混乱期に衣食住が足りて恵まれた家庭に生まれ、稲庭町という宿場町で厳しくかつ大事に育てられた凡庸な私が、素晴らしい出会いと先輩・友人・知人の助力のおかげで何とか一人前の医者になり、多くの自然遺産・歴史文化遺産、そして多種多様な人間や芸術や社会のあり方を見て聞いて味わうことができた。
 この活動の根底には、そうした幸運な人生を歩めたことへの感謝、そしてメサイア・コンプレックス(messiah complex)もある。さらに、限界集落にある私の原風景―「生家と裏山と大きな空」―を後世に残していくことが、人口減少・少子高齢化が進み、テクノロジーが先鋭化していく現代社会において、ますます大切になるという確信もある。
 「秋田稲庭・ポロの森プロジェクト」の第一弾は、生家の裏山に「ポロの森自然公園」を作ること。第二弾は「サンタの国が道しるべ」という事業である。北欧サンタの国は、冬の気候が秋田と似ている福祉先進国であり、ポロ(pollo)はフィンランドの国鳥のフクロウを指す。
 第一弾では、森林組合が造ってくれた林道を基に、スギ人工林を一部伐採し、総延長約5kmの遊歩道を造った。ケヤキやカラマツなど樹種に富み、湧池や沢もあり、子どもから高齢者まで楽しめる自然公園として、昨年秋に完成した。
 第二弾は、生家の隣に、耳鼻科で診ているコミュニケーション障害児が利用できる福祉施設を建て、様々な活動を行う事業である。国から「融資」という名の借金をして児童発達支援施設「やさしい森のポロ」を建て、令和6年4月から利用を開始した。耳鼻科の「言語発達外来」に通院している120人余りのコミュニケーション障害児が、多く利用してくれると期待し職員を揃えたが、街場から遠いことなど等を理由に利用者が増えず、大変な赤字経営となって2年が経過した。
 生家の庭や裏山の自然公園を使い、都会や街場ではやれない/やらない療育を、広く・深く・楽しく行うこと。障害のある子も、そう見えない子も一緒に遊ぶことでお互いを理解し、将来の共生社会につなげること―天邪鬼でかなりおめでたい医者は偉そうにそう考えていたが、現実は厳しかった。医療と介護は良い関係にありそうだが、医療と療育、さらに教育との間には大きな壁があると、今は感じている。
 第二弾「サンタの国が道しるべ」事業の“核”は、児童発達支援施設「やさしい森のポロ」を利用する子どもやその保護者をサポートすることだ。しかし私は、コミュニケーションだけでなく様々な困難を抱えた人、様々な特技を持つ人・持たない人、都会の生活だけでは生きていけない/生きていきたくない人、少し外れた生き方をしたいと思う人―とくに若者―が、目的をもって、あるいは目的など何も持たずにふらっと来てくれる場所を作ることも、この事業の一つだと思っている。面白い人、面白くもない人が訪ねてくれることで、この13軒の限界集落が消滅せずに残るなら、それも良いのではないかと。
 さらに近い将来、サンタの国の人たちと交流し、その価値観・生き方・社会システムを学ぶことで、裏日本と呼ばれるこの北国が、雪のない経済最優先の表日本とは異なる、豊かな社会生活を送れる方法を探る場に、この限界集落がなれたら―そんな夢も見ている。

おわりに

 「一人では何もできないが、一人がやらなければ何も成らない」
 岩手医大歯学部で大好きだった公衆衛生学の客員教授から、卒業のときにいただいた言葉だ。
 私の人生をかけた夢物語に賛同し、その道のエキスパートが参集してくださり、立ち上げからわずか6年でハード面はほぼ完成した。と同時に、私の貯えも尽きつつある。
 今年5月から様々な活動を開始する予定だが、その活動資金と、造ったハードの維持管理費をどうするか思案している。会員制にして利用者の皆さんにご協力いただくしかないと思っているが、秋田県医師会の先生方、ほかに何か良案があればご教授いただきたい。そして一度、ぜひ稲庭を訪ねて来て欲しい(その際は「あきた稲庭ポロの森・友の会 阿部耳鼻科」で検索してご連絡を)。秋田市から車で約1時間半である。
 ちなみに、毎年数か所から年末ジャンボ宝くじを買ってはいる。

ポロの森自然公園エリアマップ
ポロの森自然公園エリアマップ

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菅義偉首相への期待と不安(秋田県湯沢市の同学年生からのエール)【追記】 2021年1月

【追記】

 2020年11月の国会で「自助、共助、公助そして絆を大切に」の所信表明演説をしたのを聞いて、このエール文を書いてから約3か月が過ぎた。
日本学術会議委員の任命拒否問題で、全国のインテリ層やマスコミ関係の人達、いうなれば、発信力の強い最も厄介な(?)人たちを敵に回してしまってから、
菅内閣の支持率はどんどん落ちてきて現在に至っている。

 国会や予算委員会での質疑や新型コロナの記者会見を聞いていると、机上の原稿から目を離さず、言い間違いや舌足らず(意味曖昧)・的外れな答えがあったりして、
菅さんは完全に自信を失っているように見える。

 入局して初めて全国学会で発表した時の自分を見ているようで、ハラハラドキドキ、いつも居たたまれない思いに駆られる。
広い耳鼻咽喉科学の聴覚医学分野の中の難聴疾患という狭い領域についての研究発表でさえ、あんなに緊張したのだから、菅さんにとって専門外(?)の感染症医学・公衆衛生学・保健福祉行政学・
さらに政治経済学など、あらゆる分野の知識が要求される質問に的確に答えることなど不可能だと同情してみたりする。

 安倍長期政権の実務を取り仕切ってきたといわれる菅さんだが、その能力とは、国の様々な分野を担っている省庁・官僚機構をうまく機能させる能力だろうと思う。
その能力を発揮できない理由がどこにあるのかを良きアドバイザーと共に探り克服してもらいたい。

 国のリーダーとして菅さんが相応しくない最大の理由は、説明や議論が下手で足りないことだという人がいる。
私も同感で、今のような社会閉塞状態では特に大切な資質かもしれない。また、菅さんが当意即妙な受け答えができない・コミュニケーション能力が乏しいのは、
秋田の田舎で生まれ育ったからだと言う人もいる。
これまでの人生を振り返ってそれを完全には否定できない自分がいて、私も辛くなる。この辛さは、私だけでなく秋田県民共通の想いだ。

 しかし、コミュニケーション能力だけが政治家に必要な全てではない。
原稿のReaderではなく国のLeaderとして、支持率や任期など気にせず、開き直ってベターな対策を実行してもらいたい。
新型コロナとの地球規模の戦いにベストな対策など無いし、正解も一つだけではないのだから。

 ああ、バッシングだらけの菅さんに、「追記」でもまたエールを書いてしまった!!

(2021.1.30)

菅義偉首相への期待と不安(秋田県湯沢市の同学年生からのエール) 2020年11月

阿部隆(阿部耳鼻咽喉科医院)

 2020年2020年9月16日、我が国の第99代の総理大臣になった菅義偉さんは、私と同じ歳で、生家も同じ湯沢市の在郷である。
私が通った稲庭中学校の同級生の進学先で最も多いのが湯沢高校なので、菅さんと同級生だったという仲間も数人いる。
彼らの言によれば、高校時代の菅さんは、学業でも部活動でも特別に目立った存在ではなかったらしい。

 9月の連休に菅さんの原風景を見たいと思い彼の生家を訪ねてみた。私自身の原風景とあまりに似ていることに驚いた。
国道13号線から役内川に沿って鳴子に向かう国道108号線沿いに大きな集落が幾つかあり、その奥まった集落に彼の生家があった。
その集落は、3方が山で西の一角が開けており山が迫ってくるような圧迫感はなく、旧国道沿いに家並が連なっていた。
今は誰も住んでいないということだったが、廃墟という感じは全くなく、笑顔の住人が「よく来てけだな」と挨拶しても違和感がないような小綺麗な家だった。
訪ねたのは秋彼岸の小春日和であったが、冬はどんなだろうと想像してみた。
北西の風が吹く厳寒期には湯沢高校までの通学は無理。中学時代の同級生によると、彼は冬には湯沢市内に下宿していたという。

 私も、13軒の限界集落に生まれ厳寒期には2mを超す雪の上の一本道(3㎞)を、集落の皆と一緒に中学卒業まで毎日通ったこと、
3方が山で一角の開けた方向に未知の明るい世界が広がっているような気がして故郷を飛び出したかったこと、親父が教師ではあったが、
農林業が家計収入の多くを占めていた家庭の長男であったことなど、菅さんと共通するところが多い。
高校を卒業してから歩んだ世界は彼とは大きく異なるが、心に残る原風景・原点は同じだと感じた。

 敗戦の3年後に生まれた我々は、既成の価値観に異議を唱え、自由で民主的で平等な社会を目指した学生闘争の盛んな時期に青春時代を過ごした。
上京して東京の会社に勤めたのち法政大学に進学した菅さんが、その真っただ中で見たものは何だったのか。
この世の中を動かしている社会的強者の世界、政界や財界のエリート集団の考え方や振る舞いを見て、彼は政治の大切さに目覚め政界入りを目指したという。
地縁・血縁の全くない横浜市の市議選では、横浜駅頭に立ち辻説法をして支持を訴えて当選し、数年後には神奈川県選出の代議士となった。
幸運に恵まれたということもあろうが、私には到底想像もつかないご苦労があったに違いない。

 世襲議員や海外の大学を出たエリート議員のように、机上で天下国家を論じ美辞麗句を並べることが得意ではない彼の武器は、
秋田の田舎で育った経験と市議時代に磨かれた市民感覚と、代議士になり官房長官として内閣の実務を取り仕切ってきた中で感じた、官僚機構・エリート集団への反発心だろうと思う。
重要政策の一つとして、中央官庁の縦割り・既得権益・悪しき前例主義の打破を真っ先に打ち出した。
国民目線に立つことを忘れずにこの行政改革をぜひやり遂げてほしい。

 私が彼に最も期待したいのは、東京一極集中の是正・地方分権の推進である。
これは、ヒト・モノ・カネが東京に集中し地方が衰退・疲弊してゆくことを、身に染みて感じることができる菅さんにしかできないことかもしれない。
かつて、道州制を導入すべきだという議論があった。仙台を中心都市とする東北州なら、農林漁業による国の食糧基地あるいは
再生可能エネルギーの供給基地という役割を持てるのではないか。都会の若者には、四季折々の野菜や果物の栽培・収穫で自然の豊かさと食の大切さ・楽しさを教え、
夏の草刈りや冬の雪下ろし十字軍参加で、自然の厳しさを体験させるのも良い。
ある調査によれば、都会に住む30~40代の人の約40%が地方(東京近郊を含むだが)への移住を望んでいるという。
新型コロナの影響で在宅勤務やテレワークを経験し、新しい生活様式を経験した人たちが、新しい生活スタイルを本気で探し始めているような気がする。
IT技術がこれほど進歩し高速交通体系がこれほど整っている我が国では、田舎暮らしと都会生活の良いとこ取り(dual life)で豊かな生き方ができるように思う。

 さて、菅さんに抱く不安について述べなければならない。

 それは、首相としての所信表明演説で、望ましい社会の在り様は「自助・共助・公助」で「まず自助を」と述べたことに起因する。
実は私も、高校の校是の一つであった「天祐自助」という言葉が好きで、今の自分が在るのはこの言葉を大切に努力してきたからだと思っている。
高校卒業後の菅さんの人生を想うと、私と同じく「自助」という言葉を頼りに頑張って来たことが容易にうかがえる。
問題は、彼が市議・代議士になってから、どのような世界を見てそれとどのようにかかわって来たかである。

 私の場合は、医師になりストレス性難聴を研究対象とし、小児難聴児や聴覚機能障害者に会って初めて気づかされたことがある。
それは、「自助」には様々な条件が整っていなければならず、誰かの支えや助けが必要なのだということである。
私が「自助」で頑張って来られた背景には3つの条件が整っていたことに改めて気づく。
一つ目は、五体満足に生まれ正常とされる発達経過で身体的・知的精神的に成長できたこと、
二つ目は、経済的・社会的に恵まれた家庭で育てられたこと、
三つめは、人類の過去・現在・未来について学ぶ機会・教育を受けることができたこと。
そしてそれら3つの前提の上に、現在の職業を得て社会的活動を行えていることである。
これ等のどれをとっても、自分の努力だけで成ったことは一つもない。
親はもちろんだが、いろいろな人に支えられ、導かれて可能になったことである。

 湯沢市の田舎という原風景が近似で、抱いた志を成就させることができたという意味では近いものがある菅さんと私だが、
そのように一人では頑張れない人達への想像力が、菅さんにどれほどあるかという不安を拭えないのである。

 視力・聴力・他の身体機能や知的精神的に程度の差はあれ障碍をもって生まれてきた児、
望ましい親子関係・家族関係を築けない中で育った児、6人に一人という貧困家庭の中で育ち十分な教育を受けることができなかった人、
そして現在、生きている喜びを実感できず将来を不安に思っている人達が沢山いる。
上野千鶴子さんの言う「頑張ろうと思っても頑張れない人達」への共感を菅さんにぜひ持ってもらいたいのだ。
彼らは、社会の前面に出ることはあまりなく、能動的に自分の意見や気持ちを社会に対して表明することもない。
彼らの声なき声に耳を傾け、彼らと彼らを支えている人達に小さくても良い確かな光を与えてもらいたい。
頑張れる人達に自助を促すのも良いが、頑張れない人達のために公助・セーフティーネットをしっかり構築することこそが、
菅さんの大切な仕事の一つである。

 信頼できるアドバイザーを各分野に“複数“つくり、庶民宰相である菅さんにしかできないことを、優先順位をつけてぜひ成し遂げてもらいたい。

 秋田県湯沢市の同学年生からのエールである。

(2020.11.10)

NHK生活情報番組「あさイチ」騒動記 2015年10月

阿部隆(阿部耳鼻咽喉科医院、横手市)

 2015年4月2日の昼休み、東京のNHKから電話があった。
電話の主は、朝ドラの終わった8時15分から始まる生活情報番組「あさイチ」のディレクターだという。
用件は、「急性低音障害型感音難聴」(以下、ALHLと略)という病気を番組で取り上げることになったので、
この病気についていろいろ教えてもらいたいというのであった。

 どうして秋田の片田舎の一開業医である私にその様な依頼をするのかと尋ねたところ、
喜多村健先生(東京医歯大名誉教授で前日本耳科学会理事長・厚労省高度難聴研究班班長)や
小川郁先生(慶応大学教授で現日本耳科学会理事長)に打診したところ、二人ともこれは「秋田県の阿部先生に相談するのがベストだ」
と言われたということだった。
放送日は5週間後の5月11日に決まったと少しあわてている様子で、至急お会いしたいが横手市十文字町までどう行けば良いのか分からないという。
それならばと、分かりやすい秋田新幹線・大曲駅で直近の日曜日に会うことにした。

 視聴率の高い「あさイチ」に取り上げられることで、発症頻度が高いのにまだ一般には知られていないこの病気にやっと陽が当たることになる
という嬉しい気持ちと、まだ研究途上にあるALHLの病態について間違った報道をして欲しくないという心配な気持ちの二つが心の中を行き来した。

 眼光の鋭い身長180センチの大男が改札から出てきた。
丁寧だが押しの強そうな話し方をする。知人の事務所を借りて面談が始まった。

 一年位前の両側聾(詐聴)の作曲家・佐村河内守の事件以来、NHKは難聴問題を取り上げることに慎重になっていたが、
「あさイチ」視聴者からALHLという病気を取り上げてほしいという要望が多いためそれに応えることになったのだという。
ALHLがどんな病気なのかを知るために「(看護師の為の)耳鼻咽喉科学」(医学書院)を購入して
耳科学のページを読んだが病名の記載がなく、インターネットでも調べたがそれでも分からなくて困っているという。
一番知りたいこと・一番疑問に思っていることは何かと聞くと、
「ALHLがどうして起こるのか、何が原因でどんなメカニズムで”内リンパ水腫“が生じ、そうなればなぜ低音域の難聴が起こるのか」だという。
この疑問点を聞いて驚いた。
”内リンパ水腫“という専門用語を知っていて、専門医でも明解に答えることの難しいこのような疑問を抱くには相当勉強しなければならないが
どのようにしてこの知識を得たのだろうと。
更に聞いた。このALHLを番組で取り上げるのにどうしてこんな専門的な知識が必要なのかと。
それには、この発症メカニズムを分かりやすいCG映像にして視聴者に見せたいのだと答えた。
得心はしたが、ALHLの病態が“内リンパ水腫”であると断定的に放送される危惧を感じた。

 そこでまず、彼が持参した看護師向けの教科書を使って耳の解剖・生理・聞こえのしくみ・難聴の種類や原因などを一通りおさらいしたのち、
ALHLが一つの臨床疾患と認められるようになった経緯や現在の臨床的位置づけなどを、私が講演したビデオ(エーザイ医療関係者向けサイトのめまい・
耳鳴・難聴に関するインターネットセミナー動画)を見せながら説明した。
更に、ALHLの原因は不明だが誘因として家庭や職場でのストレスや個人的な心配事・過労・体調不良などがあり、
抑うつ状態が背景にある場合も多いこと、一般に予後は良好だが難治例もあること、病態も“内リンパ水腫”が有力視されてはいるが、
ALHLの2型・単発例と反復例の違いをこれだけで説明することは現時点では困難なのだと話した。

 ディレクター氏はこの番組「あさイチ」の制作で心掛けていることが2つあると言った。
その一つは、朝ドラのあと一日の始まりの時間なので暗い番組にならないようにすること。
そのために抑うつ状態やうつ病という言葉をなるべく使わないように、良くない経過をとる例がある場合にはそれをなるべく強調しないようにしているという。
二つ目は、視聴者が理解しやすいようにかつ不安な気持ちにならないように創ること。
不明なところがもし5%ならばその5%を強調しない、その5%には触れないように創ることもあるという。
この言葉を聞いてまたいやな予感が頭をよぎった。
ALHLは、一時的なストレス状態下で起こる治りやすい病気で、その病態は“内リンパ水腫”だと創られてしまうのではないかと。

 そこで私は、この番組作りで特に注意してもらいたいこととして次の2点を挙げた。

 一つは、ALHLが一つの病気として認められるようになるまでの経緯である。
それまで(欧米では今も)突発性難聴の低音障害型とされていた一群が、突発性難聴とは異なる一つの臨床疾患であろうと考えられた立木孝先生(私の恩師で
突発性難聴という疾患を日本で最初に報告された元日本聴覚医学会理事長)が、私にその研究を指示されたことが日本におけるALHLという疾患認知の始まりである。
番組を制作する際にはこの経緯を立木先生の功績とともに紹介することが大切で、そのほうが視聴者も判りやすいと思う。
ある日突然に日本で発見された新しい病気ではないのだと。
今一つは、この病気が原因も病態も解明され治療法も確立された予後良好な疾患などではなく、
まだ不明な点が少なくない研究途上の疾患なので、このあたりの事情に精通している耳鼻科医にコメンテーターを依頼してほしい(本番前に2回のリハーサルを要する
というので私の番組出演はお断りした)ということであった。
 以上の2点を確認して6時間に及ぶ初面談を終えた。

 その後、番組の構成・進行の仕方やディレクターのこだわる“内リンパ水腫”の発症メカニズムや低音難聴発症の仕組みなどについて、メールのやり取りがほぼ隔日に深夜まで続いた。

 まるで、自分が「あさイチ」のディレクターになったような気分だった。

 大曲での初面談から1週間後の4月12日当院での取材申し込みのメールが来た。
その際ALHLの患者さんで取材に協力してくださる方を1名お願いしたいという。来院まで3日しかない。
この患者さん選びも容易ではなかった。誰なのかは絶対にわからないように放映されるといくら説得しても、TV画面に顔が出るのは嫌だとか
プライバシーにかかわることを聞かれるのは嫌だとか言って協力してくれる人はいなかった。
来院取材2日前の夜に、にかほ市から来られた40代女性の患者さんが思い浮かんだ。
子供2人の受験ストレスが誘因で3か月前にALHLを発症し治癒したのち、
2週間前に大学に合格した息子の転居ストレスで初めての回転性めまいを起こし経過観察中であった。
診察時の態度や表情や話し方がとても素敵な秋田美人で、しかもALHLからメニエール病への移行が疑われる典型的な症例であった。
是非にとお願いしたところ取材を引き受けてくれた。

 4月15日の10時頃、ディレクターと取材カメラマン2人が医院にやってきた。
医院の内と外、私の一般診察風景のあと取材協力患者さんへの診察場面が撮られた。
3か月前のALHL発症からそれまでの経過を振り返り、その日の検査結果や今後の予測・注意すべき点などを話した。
現在、鑑別が問題となっているメニエール病とALHLの関連を、実際の症例を提示して説明できたことでこの上ない収録内容だと大変満足した。

 午後3時頃からは、ディレクターの質問に答えるという形の取材が始まった。
来院取材の前夜にメールで示されたインタビュー項目は、どんな人がどんな時に罹り易いのか、自覚症状は何か、
この病気の原因と病態は、内リンパ水腫の発症メカニズムは、なぜ再発しやすいのかであった。
ほぼ隔日にやり取りした私のメールを読んでいない・理解していないのではないかと疑わざるを得ないような質問内容で少し落胆した。
そこで私は、取材当日のインタビューでは、視聴者が理解できるように話すことが難しい項目については回答を拒否し、
私のほうから聞いてほしい項目を提案して話すしかないと思っていた。
ディレクターが番組作成上の観点から私に話して欲しいと思っていることと、私が臨床医の立場から視聴者に知ってもらいたい・
伝えたいと思うことの間に大きなギャップがあることを感じたからである。

 この取材中、私がディレクターに言われたことで気になったことが2つある。
一つは、“「~だと思う」「~が疑われる」「~の可能性がある」は、出来るだけ「~だ」と断定的な言い方にしてください、視聴者が不安な気持ちになりますので”。
断定的な物言いが視聴者に安心感を与えるとはどういうことなのか、そもそも視聴者がどんな気持ちを抱くかということにそれほど腐心する必要があるのだろうか、
と少しあまのじゃくの私には疑問に思えた。
今一つは、“~よりは~の方が視聴者が理解しやすいと思います”。
自分が一般市民・視聴者の代表・代弁者であるということをしばしば強調することであった。

 結局、私がこの病気について知ってもらいたいと思っていることを話す場面を収録できずに午後6時の時間切れを迎えた。

 全く不本意なインタビュー収録となってしまった。
今日の収録内容からどんな番組が作られるのだろうという大きな不安感と疲労感が残った。

 この取材後、メール依頼のあった立木孝先生の写真と、ALHLについて私が書いた最初の論文と、協力してくれた秋田美人の検査データを彼に送った。

 4月30日これから穴倉生活(番組制作)に入りますというメールを最後に音信不通となり、5月11日の本番を迎えた。

 朝ドラ「マッサン」が終わって有働有美子アナの「あさイチ」が始まった。
箱根山噴火のニュースの後に少し遅れて、本日の特集「急性低音障害型感音難聴という病気を知っていますか」が始まった。
ここでちょうど診察開始時間となり私は一階の診察室に降りた。

 そして昼休み時間に収録ビデオを観て愕然とした。
あれほど強調したのに、ALHLが一つの臨床疾患と認められるようになった経緯に全く触れていない、立木孝先生の名前も写真も突発性難聴という疾患名も出てこない。
「私はこの病気を耳の風邪と捕らえています」と話す場面で、この私がどこのどんな耳鼻科医なのかも全く説明がない。
ALHLの病態は内リンパ水腫であると“断定”し、そのように言ったのが私だと紹介している。
内リンパ水腫が病態として有力視されてはいるがその様に断定してはいけないというのが私の立ち位置で、そのことを何度も話したのにである。
同じく内リンパ水腫が病態だとされるメニエール病との違いにも殆んど触れず、両者の関連を説明する上で好都合な秋田美人の患者診察ビデオも無かった。
更に、予後良好とされてはいるが治らない例や頻回に再発を繰り返す難治例があること、背景に抑うつ状態・うつ病がある場合にそうなり易いこと、
聴神経腫瘍など他の病気が隠れている場合があることなどにも全く言及が無い。
判りやすさ最優先の番組内容は一般視聴者には好評だったかもしれないが、過去にあるいは現在この病気に罹患した(している)難治例の患者さんや、
メニエール病の病態が内リンパ水腫であることを知っている医療従事者には不満な点や疑問な点が少なくなかったと思う。

 コメンテーターが、大学医局時代は味覚と中耳疾患を主に研究しておられた方だということは放映の3週間位前に知らされた。
彼から丁寧な電話も数回頂いて承知はしていたものの、私の意見がほとんど無視された形の番組内容であった。

 大曲での初面談から5週間、私的時間の多くを費やして協力し振り回されたのに失礼千万な話しである。
後日、全国から1000通を超える投書があの番組に寄せられたと聞いた。
そのうち約3分の1は放送内容に対する疑問・抗議だったというが、さも有りなんである。

 今回の「あさイチ」騒動を経験して改めて感じたことは、放映されるすべての番組についてそれを創る側と
それを視聴する側の双方に、ある覚悟が必要だということである。

 創る側については、ディレクターがその番組作りに絶大な権力を持っていることを自覚し、
それまでの歴史や現在の問題点を自ら広く深く調べそして学ぶこと、その上で専門家の意見を謙虚な気持ちで聞きそれを取り入れることが大切である。
医学や科学番組を視聴者が理解しやすいように創ることはとても大切なことだが、そのためには正確さ(その時点での)を欠いても良いと考えるのは不遜である。
番組作りには、その道の専門家の他にほぼ同等な知識と見識を持つディレクターが2人関わることが望ましい。

 番組を視聴する大多数の側については、全ての映像作品にはそれを創った人間(ディレクターやプロデューサーと呼ばれる人たち)の意向・バイアスが、
必ず(意図するしないにかかわらず)入っていると考えながら視聴することが大切である。
流された映像を正面からだけでなく横から斜めから時には裏側から観るために大切なもの、
それは、観る人の知識・経験と歴史認識に基づく“想像力”だと思う。

 肝に銘じたい。メディアのいかんを問わず、得られる情報の全ては発信者が切り取った真実の一部に過ぎないことを。