お問合せはこちら ≫ 

TEL 0182-42-3341
診療時間 平日 08:30~12:00
14:00~17:00
水曜・土曜日 08:30~12:00
休診日 土曜午後・日曜・祝日

私のプロフィールとプロジェクトの立ち上げ


阿部隆 (2023.11.26)

阿部耳鼻咽喉科医院 開業まで

①1948年11月湯沢市稲庭町の13軒しかない下川原集落に生まれた。
高校から生家を離れ、横手市、盛岡市、八戸市、ロンドン、再び盛岡市に住んだのち、1991年7月に横手市十文字町に阿部耳鼻咽喉科医院を開業した。

岩手医大の医学部では、聴覚医学と耳科学を専門領域とし、ストレス性難聴を主テーマとして約15年間の研究生活を行った。留学したロンドン大学では、当時の聴覚医学のトピックスであった音響反応(耳音響放射)の発見者であるD・Kemp 助教授の指導を受け、彼が開発した耳音響放射検査装置・ILO88 を日本で初めて岩手医大に導入してその研究指導を行った。
日本聴覚医学界のレジェンドである立木孝教授のご指導のお蔭で、それなりの業績を上げ研究生活を続けることもできたが、様々な理由で開業の道を選んだ。

③開業の主たる目標は実地臨床医だからできる下記の4つを行うことであったが、微かな望みとして生まれ育った生家の自然を後世に残したいという想いがあった。
世界はもちろんこの日本でも素晴らしい自然遺産・歴史遺産は沢山あるが、それとは違うもっと身近なストレス解消の場として生家の裏山や自然を利用できるのではないか、更には、生家の限界集落がそのような活動を行う拠点に生まれ変わり都会や世界とつながることで、消滅回避・地域再生という一つの社会実験もできるかもしれないという夢のような想いであった。

阿部耳鼻咽喉科医院 開業後

④開業後は、秋田大学医学部の非常勤講師を65歳の定年まで20年間、秋田県地方部会の幹事を現在まで26年間、副会長(会長は秋大教授)を2021年まで6年間、日本耳鼻咽喉科学会医会協議会の東北代表を12年間務めた。
 実地臨床医として力を注いできた4つの目標は、治療効果の高い局所麻酔下の外来手術を積極的に行うこと(耳鼻咽の合計手術数は約7000例)、実地臨床医だから可能なストレス性難聴の研究を行うこと、特別な防音室と検査機器を要する高齢難聴者への聴覚リハビリ(補聴器外来・秋田県のクリニックでは3つだけ)を行うこと、そしてコミュニケーション障害児(言語発達障害児)への聴能言語訓練(言語発達外来)を行うことであった。
1992年開業の翌年にアジアで初めて開催された国際聴覚医学会では、耳音響放射シンポジアムでシンポジストとして講演した。2005年開業14年目の日本聴覚医学会総会・50周年記念大会では、ストレス性難聴に対する教育講演を指名され行った。
2021年7月に開業後30年が経過したのを機会に、これまでの成果・まとめを耳鼻科の秋田県地方部会や全国学会(日本聴覚医学会)で発表していて、実地臨床耳鼻科医の理想的活動・業績だとの評価をいただいている。

⑤当院は、20年前からオリブ園の県南サテライト医院であり、秋田県で3つの難聴児専門医療療育施設の一つ(他は、秋田大学と中通病院)である。
私は15年前から現在までオリブ園(社福法人グリーンローズ・後藤進理事長)の評議員その後理事を務めている。また15年前から2022年8月まで成人の知的精神的障害者を対象とするNPO法人のち社会福祉法人・長いスプーン(泰松康洋理事長)の理事を務めてきた。

【詳細は阿部耳鼻科のHP:abejibika.com を参照】

耳鼻科診療と言語発達外来

⑥耳鼻科診療として馴染みのない言語発達外来について少し説明させていただく。
耳鼻咽喉科は、聴く(傾聴)、それを理解して考えをまとめ、言葉(音声言語)にして、話す(発声)という、コミュニケーションに最も深くかかわる診療科であるが、乳幼児や学童の言語発達を主とするコミュニケーション障害に取り組んでいる開業耳鼻科医は当院を含めて東北で数軒しかない。その理由は、乳幼児期の難聴や言語精神発達に対する専門的知識に基づいた診察と言語聴覚士による専門的な聴能言語訓練が必要であること、更に一人の患者さんに要する診療(療育)時間が長いすなわち費用対効果が極めて悪く赤字診療になるからである。
当院では20年位前から、秋田市の難聴児療育施設・オリブ園(日本の草分け的2大施設の一つ)の片桐貞子園長に来ていただいて月に1~2回、10年前からは週に1~2回、2年前からは常勤のSTを一人雇用して毎日、聴能言語訓練を行っている。利用者の延べ人数は500人以上、現在は約120人である。コミュニケーション障害児とその保護者への医療と療育の支援は、長期戦で大変だけど耳鼻科医こそが積極的に関わるべき領域だと思っている。

「やさしい森のポロ」開設への想い

⑦元号が平成から令和に変わったところで、人生最後の活動期と呼ばれる70歳の節目を迎えた。十文字町に開業した時から約30年、心の中で温めてきた想いを実行に移す時が来たと決意し、「令和共生の里プロジェクト」(後に、「秋田稲庭・やさしい森プロジェクト」と改称)を立ち上げることにした。
その想いとは、ご先祖が残してくれた裏山を“核”にして、身体的・知的精神的・社会的に多様なストレスを有する全ての人達(子供から大人まで)が癒される活動を行うことであった。郷里を離れたばかりの高校時代に落ち込んでいた私を癒してくれた生家の裏山は、樹種が豊富で湧き水や沢があり、眺望が優れていてバラエティーに富んだ楽しみ方ができるところである。海は無く鳥海山は見えないけれど、大きな空ときれいな夜空もあって後世に残していくに足るところである。
この裏山を利活用することによって、2つの大きな目標が実現できるかもしれないと思うに至った。目標の一つは、耳鼻科医としてのライフワーク、すなわち様々なストレス性疾患の治療・予防と、コミュニケーション障害児への濃密な療育支援で、今一つは、この凡庸な私を育んでくれた限界集落・地域の存続・活性化ということである。